修論からの逃避

くだらない考えごとは捗るのに、修論は捗りません

canon powershot g9 x mark iiを買いました(研究費で)

f:id:haradarakuda:20180619125728j:plain

研究奨励金でcanon powershot g9 x mark iiを購入した。

 わざわざ「研究奨励金で」と書いたのは、社会人がよくやる「会社のカネで○○してやったぜ」自慢を私も一度してみたかったから(笑)。

とはいえ、落選した院生たちが調査費の捻出にヒイヒイいっているのに、優雅にカメラなんて買っていいのだろうか…と罪悪感に苛まれた。

 

でもまあ頑張って申請書かいたんだし、用途に「カメラ」って書いて通ってるんだから別にいいか、と思い切って買った。 

 

かれこれ5年、フィルムカメラ(フジのNatula classica)を使っていた。でも最近なんだか1枚1枚が重いなあと感じていた。

 

フィルムカメラの、あの一瞬を閉じ込める力や、その時の空気も感情も永遠になる感じは大好きなのだけど、あまりにもその1枚に想いが籠りすぎていて重たい。これは撮らなきゃ、残しておかなくちゃ、という一瞬や思い出には、あまり興味がなくなってきている。

 

今の私にとっては、ふつうに過ごしていたら忘れてしまうような、無かったことになってしまうような、他人にとっては何の意味もない日常のワンシーンのほうがずっと面白くて、それを軽やかに切り取ってくれるコンデジが欲しいなあと思っていた。

 

f:id:haradarakuda:20180619125743j:plain

たとえば、駅のエレベーターで前に並んでいた人の楽器ケース。そこに乱雑に貼られたシール。ピストルをかまえているパンダ。この人、これから市民センターで練習があるのかな。そして私はこれから大学に行くところ。

 

そんな2人が東京の私鉄の駅のエレベーターで前後に並んでいる。そのほんのひと時に意味はないけれど、その時間は確かにあった。

 

わたしはその瞬間を切り取って、あとでじっくり眺めたいな、と思う。

 

f:id:haradarakuda:20180619125757j:plain

たとえば、前を歩いていたおばあさんのセーターの柄がチューリップだったこと。なぜか巾着がヒョウ柄だったこと。私がそれを見て「かわいいな」と思ったこと。

 

おばあさんはまさか誰かが見ていたなんて思ってないかもしれないけど、私は確かに見ていた。

 

そしてきっと、それと同じように誰かが私のことを見ている。「あのTシャツの色、絶妙だな」とか思っている。たぶん。そんな一瞬が街のなかに、人混みのなかに、たくさんあって、そして日常が続いていく。それがとっても面白い。

 

大したことは何も書いていないけど、canon powershot g9 x mark iiはとてもいいカメラです(笑)。それについてはまた今度ゆっくり書きます。